「服ができるまで」第1回。
産地の学校としては初めての通年講座。場所はスパイラル・青山9階の一室。
アパレル業界の方はもちろん、学生の方々にも会場いっぱいにお越しいただきました。
「ここから10年20年先を見据えて、デザインと技術の関係。この先も日本が繊維産地を維持すること、工場経営について。そして、国内生産の強みや国内で服を作るということ。メイドインジャパンってなんだろう。この連続講座を通して、そういうことも皆さんと一緒に考えたいです」講義は産地の学校事務局、宮浦からのそんな言葉ではじまりました。
第1回ゲストは、hatsutokiの村田さん。
東京にいた学生時代、デザイナーのアシスタントをしていた村田さんは、工場と若手ブランドの間にある様々なギャップ、アパレルのものづくりの仕組みが少し噛み合っていない現状を感じ始めます。
同時に、日本の素材・産地の技術がすごいと耳にするのに、何がすごいのかがわからない。様々な気持ちの重なりから、自分の目で確かめたいと展示会や産地へ足を運び始めます。
そこで出会ったのは、産地の工場のもつ倉庫に眠る生地たち。
ただ、技術は「すごいもの」がたくさん、それどころか「すごいもの」しかないのに「デザイン」 されていないと感じます。
そこで、産地にはいり技術を「デザイン」で翻訳する役割を担えるのではないかと考えます。
「産地でブランドをやるのは、漁師町でレストランをやることに似ていると思うんです。一緒に漁に出て、魚をとり、新鮮なものを調理して提供する。そこでしか食べられない魚もあったりする。」
産地でデザインをすること、服をつくることを、村田さんはそんなふうに例えていました。
約7年前、村田さんが移住したのは、播州産地とよばれる兵庫県西脇市を中心とする先染め綿織物を得意とする産地です。
hatsutokiは、播州産地の産元商社のブランド。産元商社とは、例えばひとつの繊維産地を大きな会社と例えると「営業・生産管理部署」。生地を企画して、東京や大阪のアパレルへ提案する。仕事となり、産地内の様々な工場と共に生産をおこなう。hatsutokiも、播州産地を中心とする国内の工場と共にものづくりをしています。
播州は今は人影も少ない地域となりましたが、もともと播州織の産地として栄えていました。その当時は働き手として女工さんを多く迎える地域でした。
1980年代が生産量のピークで、現在は縮小し、今後はもっと縮小していくといいます。生地の製造業は分業制が主で、同質のものをつくっていたために価格競争をおこなっていました。現在はそれぞれの工場の強みを持ち差別化していこうという流れになり、こういった時代背景のもと村田さんのようなデザイナーが必要とされるようになっています。また、現在は西脇市のバックアップにより、デザイナーに限らず、ここ3年で20名ほどの若い移住者が増えるという新しい動きもあります。
講義は播州産地での製造工程を説明いただいた後、hatsutokiの生地づくりへ。
産地で生地をつくること、技術の背景を理解すること、職人のマインドを理解すること。どうやってものづくりに取り組んでいけばいいか、コミュニケーションを考えているとおっしゃっていました。
講義後のアンケートで、印象に残ったことの欄に一番記入が多かったのは「影織」。
「よろけ織」という50年前からある播州の機屋さんが開発した技術を使用し、つくられた織物です。生地をよくみると、普通は水平垂直に打ち込まれているはずの糸が波打つようによろけています。
「ピンと張られたたて糸を、ぐーっと押さえつけたり放したりを繰り返し、テンションをコントロールします。たて糸がテンションを張っているところから、元に戻す時によこ糸がふにゃっとよろけます。」
何度もおこなってきたという村田さんの説明は、分かり易いようですが、とても不思議に感じます。
村田さんが初めて「よろけ織」に出会ったのは播州の工場。甚平に使用され、渋いイメージでした。1年間ほど工場を出入りし「よろけ織」の仕組みを理解し、技術への視点を変えて「影織」はうまれました。
その他にも、細番手の糸を使用した製品の紹介では綿花のお話も。
綿の種類ひとつ変わるとその後のものづくりや製品に大きく左右しますが、植物である綿は生き物です。人の思い通りになるものではありません。普段気にすることの少ない背景を知りました。
いくつかのhatsutokiのオリジナルの生地を例にお話をききました。
1つ1つの生地が完成するまでには、目に見えない試行錯誤が繰り広げられています。それは、村田さんをはじめとするhatsutokiメンバーだけでなく、一緒に製作に取り組む工場の方々とのお話も。
新作の2019年のA/W用におこなった、4回の試織(ししょく)を見せていただきました。
この生地の開発は、村田さんのイメージと画を元にスタートしました。
試織しては、使用する糸の種類を変え、密度・加工を変えるなど、調整をおこなっていきます。どこか1社の力でつくるのではなく、それぞれの工程を担う人たちが小さな工夫を重ねる。小さな工夫の重なり、チームプレーがおこなう生地づくりは、村田さん曰く「産地の総合力」です。
そういえば、講義中での村田さんの一言がとても印象的でした。
「産地内の同い年くらいの職人さんはこれからあと30年一緒にものづくりできるから、60歳になったときにもっと高い技術で一緒にものがつくれる。」
産地は縮小していくとお話がありましたが、播州で、絶えることなくうまれつづけるであろう生地や服が楽しみで仕方ありません。
村田さん、貴重な講義をありがとうございました。
次回はEIJIさんに「Tシャツができるまで」のお話をうかがいます。
末安