私自身が好きだから

産地の学校修了生へのインタビュー企画。

2人目は、現在(2019年)東京造形大学テキスタイルデザイン専攻領域に通う市川紗帆さん。市川さんは、産地の学校の東京校3期と、同時期に初の産地校としてスタートした遠州校の両方に通われました。

産地の学校は、10代〜50代までの幅広い世代の方が受講して下さりますが、その多くは社会人で、「学生」は多くはありません。

市川さんがテキスタイルを学ぼうと思ったきっかけから、どうやって産地の学校を見つけ、なぜ同時受講されたのか、率直に感じたことを聞いてきました。

平面に飽きてしまいました。布に絵を描くのも面白いなと思ったんです。

地元である静岡県浜松市にいた高校生の頃から、美術クラスに所属していた市川さん。高校3年間ずっと紙に絵を描いていたため、平面ではないものに取り組みたいと思い始めます。進学のタイミングで、ご自身のやりたいことを改めて考えた時に、「テキスタイル」が選択肢に出てきます。大学を決める時にはブレることなく「テキスタイル学科」だけを志望していました。

はれて、繊維産地との取り組みにも力をいれている、東京造形大学テキスタイルデザイン専攻領域に進学。1、2年生の頃は、原料から糸を紡ぎ「織り」の基礎、一方で「染め」の基礎から絞り染めなどの原始的・伝統的な技術を学ばれました。

今振り返ればまたやりたいと思うそうですが、当時は「デザイン」がやりたくて入ったため、なんでこんなのやるんだろう、と思っていたそうです。

3年生になると、学生は「織り」か「染め」のどちらか専攻を選び分かれます。

例年「織り」専攻の方が少ないそうですが、市川さんの代は半々くらいに分かれたそうです。

「テキスタイル」という広い定義の中から、2年間の学校での様々な実習を通して、市川さんの興味は「布に絵を描く」から「布を織ること」に移っていました。

染めの柄を机の前で考えるよりも、実際に手を動かす細かい作業の方が自分には向いていると思い織りの専攻を選びました。

「布を織ること」に力を入れ始めて1年後、大学生活3年目の終わりがやってきます。つまり、多くの学生が進路を考え始める時期。大学院へ進学を選ぶご友人も多かったそうですが、市川さんは現場を知りたい、仕事から学べると思い就職しようと決めていました。

漠然と織物をやっていて楽しいな、と思っていたので産地で働くのっていいな、と思っていました。「職人 後継者」などとインターネットで検索していました。「職人 後継者」だと「染め職人」などは多く見つかりましたね。

恐らく一度でも「職人」や「後継者」といワードを入れてインターネット検索をかけたことがある人も多いと思います。そして、検索をかけても求人のサイトも無ければ、あっても良くわからず壁にぶつかる。新卒を募集しているのか、役に立てるのかもわからない。市川さんもそんな一人でした。

そんな中、ネットサーフィンの後に「産地の学校」に辿り着きます。しかもタイミング良く東京校3期の説明会をおこなっている。とにかく説明会に参加し、とりあえず参加してみようと決めます。

東京校3期がスタートしたのがちょうど4年生になった頃。同期の15名中では、最年少。大学生活も残り1年となり、何か良い出会いがあるといいな、と期待を持ちながらの参加です。

東京校では、繊維業界の大枠の仕組みと川上〜川下の流れに沿いながら、テキスタイの基礎を学んでいきます。

具体的には、原料からはじまり、糸、織り、編み、染め、加工。そして生産管理のようなスケジュール管理までを全12講で学びます。

東京校での感想を伺うと、大学でテキスタイルの基礎は学んでいましたが、毎回それぞれの専門の講師の方がいらっしゃるので興味深く、知らないことも多く学べました、と話してくれました。また、受講生の横のつながりができたのもいいところ。受講期間中は講義の後にみんなでお茶をしたり、講義が終わって半年以上経つ現在でも、何かあるとお互いの報告をし合うそうです。


初めて「遠州」へ行ったのは東京校での遠征でした


講義でのメモや各講師の方々からの教材など

さらに、産地の学校の初の産地校として「遠州産地の学校」が始まることを知ります。

ご実家が浜松市ですが、実家に住んでいた頃は浜松・遠州が繊維産地で、実家のすぐ近所に機屋があることは全く知らなかったそう。唯一知っていたのは、「注染」。高校生の頃、注染の体験や工場見学をする機会があったそうです。

遠州校は、職人さんに直接会えるのが面白かったです。工場で、実際につくっている生地をみたり、職人さんの考えも聞くことができるので興味深かったです。

産地校である遠州校と、東京校との大きな違いの1つは「毎講義、工場が教室になること」。

「遠州産地の学校」に参加すれば、もっと職人さんと話せる機会もある、より多くの工場を実際に見ることができる。こちらも迷わず参加を決意します。そして、土曜日は遠州校、日曜日は東京校へ参加するハードな週末スケジュールをこなしていきます。

「遠州産地の学校」に参加するまで全く知らなかった産地には、国内外の有名ブランドからも支持される綿織物の工場がいくつもあることを知ります。その中には、市川さんの少し先輩の若手世代が活躍する機屋も。

そんな一方、遠州の工場へ通う中、とても仕事熱心で魅力的な生地を織るのに、人手不足により発注に対応しきれず、無くなってしまうチャンスがある現状を目の当たりにします。

人がいたらもっと仕事ができるのに、と、改めて私も産地の人間として、できることがないかと思い始めました。

インターネットなどで文字だけでみる「人が足りない」という言葉よりも、圧倒的に現実として市川さんに響きます。現場に何度も足を運び、実際に目にしたからこそ感じたこと。やがて市川さんの中で「ここで働きたい」という意思へと変わります。

最後に、市川さんの今考えていることを聞いてみました。

若い世代がいる産地や工場には、若い世代が関わりやすいのではないか、と感じています。産地の学校の東京校で出会った、若手デザイナーさんから「工場に若い世代がいるともっと話しやすくなる。」という言葉を聞いて、まずは私自身がその第一歩になれるといいなと考えています。

産地に若い世代がもっと関われるような環境にしたい。

「人が足りない」という繊維業界。それはもちろん工場の中で働く職人のことであり、同時に工場と一緒にものづくりに取り組む、取引をする人でもあります。

市川さんのこれからの楽しみは、機屋で働くことだけでなく、遠州産地の学校を通して出会った人たちとの交流も。遠州近隣の機屋で働く若手の職人とも、「これからよろしく。」という言葉を交わしました。

正直言うと東京にいたいという気持ちもちょっとありますが、浜松にみんなが遊びにきてくれるといいなあ、と終わり際に市川さんからそんな言葉を聞いたので、産地の学校としてもこれから受講する皆さんも一緒に、市川さんを訪ねなくてはと思いました。

18歳で持ったテキスタイルへの小さな興味が、4年経ちご自身の強い意思となっていました。「私自身が好きだから、機屋の仕事がしたいと思いました。」と笑顔で話してくれました。

目次